富岡製糸場が世界遺産登録勧告!! 

国際記念物遺跡会議(イコモス)が
「富岡製糸場と絹産業遺産群」
の世界文化遺産への登録を勧告したとの知らせが
文化庁に4月26日未明に届いて、世間を賑わせました。
GW目前の出来事、
所在地が群馬県ということで、
首都圏近郊に住んでいる人のなかには、足を運ぶ人もいるのではないでしょうか?

スポンサードリンク

富岡製糸場へのアクセス

田舎なのでアクセスは正直よくはないです。
車で行っても、電車で行っても、
徒歩10~20分は覚悟していってください。
出来たら、歩きやすい履物で行かれることをお勧めします。


上信越自動車道 富岡I.C下車
各駐車場まで約10分(3㎞)
駐車場より徒歩約10分(500m)

※富岡製糸場内には車両で入ることができません。
車で向かう場合は、近隣の駐車場を利用することになります。
世界遺産登録の勧告があってから、訪れる人が増えたため、駐車場足りないことがあります。

公共の交通機関
JR高崎駅で上信電鉄に乗換え(約40分)
上州富岡駅下車、徒歩約15分(1㎞)

参考
東京駅~高崎駅(上越・長野新幹線) 50分~1時間 新宿駅~高崎駅(湘南新宿ライン) 約2時間
製糸場のほか、
近代養蚕農家の原型「田島弥平旧宅」(伊勢崎市)
養蚕技術の教育機関「高山社跡」(藤岡市)
岩の隙間から吹く冷風を利用して蚕の卵を貯蔵した
「荒船風穴」(下仁田町)
で絹産業遺産群を構成しているのですが、
点在しているため、
公共の交通機関を利用して動くと、
1日では回りきれないようです。

マイカーやレンタカーなどの利用が良いと思われます。
しかし、観光客の急激な増加で、
駐車場の不足や案内板の不備など、
対応の遅れが出ているようです。
正式に世界遺産に登録されれば、さらなる混雑が起こるでしょう。
折角の機会なので、きちんと対応していってもらいたいですね。

富岡製糸場が世界遺産に登録されるわけ

富岡製糸場は、建造物等が明治時代当時のまま、良好な状態で保存されています。
そのことが、評価されて世界文化遺産として登録されようとしています。
この建物は、明治政府が当時最先端だった西洋の方式を取り入れて、近代的な製糸工場として建設したものです。
日本の蚕糸業の発展に大きな影響を与えました。
官営の模範工場としては、それほど長い間操業してはいませんが、その後も民間に払い下げられた後も
製糸工場として機能い続けました。
富岡製糸場のように、歴史的・学術的にも価値の高い産業施設は「産業遺産」」と呼ばれ、近年、関心が高まってきています。
富岡製糸場と同じような繊維産業の工場では、
ダーウェント渓谷の工場群(イギリス)
クレスピダッタ(イタリア)
等が世界遺産登録されています。

スポンサードリンク

「富岡製糸場と絹産業遺産群」の歴史

明治の時代は、江戸時代の鎖国政策によって、
西洋などに比べると産業は立ち遅れていました。
その中で最大の輸出品は生糸でした。
しかし、輸出が多くなると、大量生産のための粗悪品が増加し、国での対策が必要になりました。

質の良い生糸の生産を可能にするべく、西洋式の大規模な製糸工場建設が決まりました。
場所は、生糸の原料になる養蚕が盛んなところで、広い敷地があり、工場の動力の原料となる石炭の入手がしやすいところということで選定された。
何よりも、住民の了承が得られたことで、高岡に決定したそうです。

工場は明治4年(1871年)から建設が始まり、翌年から操業を開始した。
外国人の指導者で近代的な繰糸工場は、各地から集められた女工さんたちによって、機械製糸が本格的に始まりました。
明治9年には外国人指導者が去り、
日本人によって操業されました。
官営期は、経営状態も黒字ばかりではなかったようです。ただ、高品質に重点を置いた生糸は、海外でとても好評でした。
指導者育成の目的も果たされこの工場で、
技術を習得した女工たちが地方に戻り、
近代工業の発展に助力しました。
器械製糸の普及と、技術者の育成という目標は、
十分果たされました。

官営の役割を終えて、払い下げの主旨によって
明治26年(1893年)に三井家に払い下げされました。
明治35年(1902年)には 原合名会社に譲渡
御法川みのりかわ式繰糸機による高品質生糸の大量生産や、蚕種 の統一などで注目を集めました。
昭和13年(1938年)には株式会社富岡製糸所として独立
昭和14年(1939年)には日本最大の製糸会社であった片倉製糸紡績株式(現・片倉工業株式会社)に 合併
戦中・戦後と長く製糸工場として 活躍しましたが、
生糸値段の低迷などによって昭和62年(1987年)3月ついにその操業を停止しました。

建物は、そのまま状態よく保存され現在に至ります。

まとめ

日本では、明治以降西洋化を進めるに当たり、古い物を壊して、新しくしていくということが多くなりました。
こうして、歴史と文化を保存して、のちに語り継ぐことも必要なのではないでしょうか?
休日などに、日本の歴史に触れてみるのも、
素敵だと思います

スポンサードリンク
スポンサーリンク
カテゴリー
リンクユニット

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
カテゴリー
リンクユニット